境界線

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最近ハマってるアメリカのドラマがあります。

医者の卵であるインターンが他の仲間と病院で働きながら学び

様々な出会いや経験をする話です。

ストーリーの始めの方は、離婚 浮気 恋愛 と

ドロドロしたストーリーが多くて

アメリカドラマらしいなと思って見るのをやめようかと思っていました。

しかしその背後で、それぞれの家族や夫婦関係

患者との関係が交差しながら描かれていくうちに

そこから抜け出せなくなってしまいました。

 

認知症になり、医者でもあった母親が、

過去と現在の区別がつかず、昔の出来事に捉われる姿を

支える続ける医者である娘

医者として理性的に判断する自分と

子が出来た親として人に情を深めるようになった

自分の境界線がゆらぎ、インターンの指導者としての

振る舞いに悩む医者

仕事で海外を飛び回る親との関係に寂しさを感じ

心臓発作になるよう偽装して病院に入退院を繰り返す患者

 

人の悩みや悲しさに自分を重ね、自分の悩みに苦しみながらも

人に寄りいたいと願う、でも上手く距離が掴めずにまた傷つき

誰かに寄り添って欲しいと思う

そんな姿がドラマの中で描かれています。

 

今回の話は、インターン生であるジョージの父親がガンになり

手術で手を尽くしたにも関わらず、死んでしまい

家族で父の死を看取った話でした。

彼には兄が2人で、2人とも郵便局員といった平凡な仕事をしている。

父も車関係の仕事をしていて、医者になることを志すジョージは

家族の中で浮いている存在でした。

父親は家族とジョージの間にある壁に気づきながらも

うまく寄り添えず、ジョージも、歩み寄ろうとする家族に心を開ききれず

孤独感を感じていました。

しかし、父親の死をきっかけに家族や親戚が父親の病室に集まり

ジョージも医者としてできることの最善をもって

父に最高の手術を受けさせようとします。

しかし、状況が上手く回っていかずに

ジョージは他のインターン生やドクター

家族に怒りをぶつけるようになります。

ジョージが傷つく姿にみんな心を痛め

支えようと近づきますが、ジョージには周りが見えず

父の手術に躍起になっていきます。

やがて、父の体の負担が限界に達し、腎不全になったとき

家族は父親を失います。

そして家族が涙を流す中

ジョージは1人毅然と医者として振る舞おうとします。

 

アメリカは個人が尊重される国だから

日本とは違った家族の関係や

家族間での接し方を持っていると思ってしまいます。

でも、この話を見ていると

自分の家族や自分の悩みと重なって心が動かされ

涙が流れ、その瞬間は、アメリカ人であること

日本人であることの境界線がなくなり

違うことに目が向かなくなります。

人はいつか死を迎えるし、それは家族にも起こります。

そして家族は、死の間際まで寄り添い

生が続くことを願い、そして失ったとき

大きな喪失感に出会います。

たとえ、家族の中に壁、過去に対する怒りや許せなさがあったとしても

死の経験の中で、家族として死と向き合い

悲しみを共有します。

そして、周りの人も家族では抱えきれない痛みを

少しでも担おうと寄り添います。

 

こういうドラマを見ると、それはみんなが共通に感じ

もつことが出来る経験なんだと実感します。

家族のあり方が違っても、

家族であることの持つ意味は変わらないんだと。

自分の仕事や立場が何であったとしても

弱っていても怒っていても

無条件に家族であることは変わらない

だから家族の中に留まり続けられるのかな

と思ったドラマでした。

 

 

 

 

 

 

 

くれーぷ巡り

さいきん自分の中で意識し始めたこと

”いろんなことに心を動かす”

つまり 感動したり 深く考えたり 揺さぶられたり

そういう経験をたくさんしていくこと

それが研究者に一番大切なことだと ついこのあいだ教えてもらった

そのために 音楽を聴いたり 映画を見たり 誰かと話したり

たくさんいろんなことを経験していきなさい と

 

 

今までこんな言葉を聞いたことがなかったから

わたしにとったは衝撃的だったけれど 素直に受け取ることもできた

 

同時に 外に出てもいいんだ 研究に関係することだけをしなくてもいいんだ

と 何か自分を縛っていた枠から解放されたような気持ちになった

 

今までは 本を読んだり論文を読むために

必死に確保していた時間を ゆるーくして

自分が何に心を動かされるのか 何をしたいのか を見つけようと

最近いろんなことを始めた

 

くれーぷ巡り は今日始まったそのひとつ

 

好きな食べ物はたくさんあるけど 最近くれーぷを見ると

たべたい衝動にかられる自分に気づき

そして 大学のころソフトクリーム食べ歩きをしたという

知人のことばにも触発され

いろんなくれーぷを食べることに決めた

味は ちょこばなな

いろんな ちょこばなな のくれーぷを食べていく予定

 

今日食べたのは 大学の近くの最近できたくれーぷ屋さんの

ちょこばななくれーぷ(クリームなし)

手にとったら 写真をとるのを忘れてかぶりついてしまって

証拠はないけど ひとことで言うなら

「もちもち くれーぷ」

なんとも生地がおいしかったし 食べごたえがあって

わたしの口に合うタイプ

次回は 大麻駅の近くにあるくれーぷ屋さんを訪れる予定

 

くれーぷにどれだけわたしのこころが揺り動かされるかは不明だけど

とりあえず ぼちぼちくれーぷめぐりをすると決めた今日

 

今後は トレッキングもする予定 ボランティアも続々始まっていくから

何かどーんっとこころに響くものがあれば 書いていこうかな

 

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ウミネコは海街にいる

最近研究室に籠ってパソコンをカタカタさせてばかり
 
だからそんなに人に話せるような面白いことはなかったけど
 
好きになった映画が1つあったから それについてちょっとかきます
 
 「かもめ イラスト」の画像検索結果

 

 
タイトルは「海街ダイアリー」
 
ずいぶん前に公開された映画だし 当時は出てる女優さんが豪華だな としか
 
思ってなくて 興味はあまりなかったけど
 
さいきん友だちの家でちらっとみたら 意外とおもしろかった
 
そしてもう3回も見てしまった
 
 
 
ほとんどの邦画がそうだけど この映画も1人の女の子が3人の姉妹と暮らし始めたこと
 
以外はなにも特別で劇的なことは起こらない
 
 
 
街に平和が戻ってきた!とか 悪の帝王から地球を守った!とか
 
出来事自体に大きなアクションが起きるわけじゃない
 
ただ目の前にある日常を淡々と生きている中で 
 
気持ちが揺らいだり
 
今まで考えなかったことを考えるようになったり
 
誰かを嫌いになったり
 
昔のことを思い出して腹がたったり
 
 
 
この映画では誰にでもあるような なんでもないことにスポットが当てられていて
 
でもそのすごく小さい出来事の中にもそれぞれ別の人間の
 
感じ方 思い が見え隠れする
 
それは後悔だったり 居心地の良さだったり 怒りだったり 当り前のことだったり
 
 
 
そうやってそれぞれの思いが交わって 離れて 交差しながら
 
みんな自分を隠して 毎日が過ぎていく
 
 
 
でも隠しきれなくなって 我慢できなくなって思いが爆発したときに
 
はじめて人は 隣にいる人の声をきく
 
はじめて そこに目をむける
 
 
 
でもそれくらいしないと 人の気持ちなんてわからない
 
それぐらいしたって 見えるのはほんの一部分だけ
 
 
 
そうやって人は 人と一緒に生きていけるようになるんだと思う
 
血がつながってなくたって 血がつながってたって
 
家族だって 家族じゃなくたって
 
わからないことはたくさんあるし
 
見せられない自分もたくさんある
 
 
 
もしかしたら “カゾク"っていうのはただの枠で
 
その枠の中にはいることで 家族が出来るのかもしれない
 
“カゾク"の枠を意識したときに 家族になろうとするのかもしれない
 
 
 
でもだからこそその枠が大切で
 
違う固体としての人間同士が家族でいることに意味があるのかもしれない
 
 
 
みたなことを考えたけど 着地点がよくわからなくなってしまいました
 
 
 
これを読んだだけじゃまったくストーリーが掴めませんね 笑
 
どういう話?って聞かれると 20秒くらいで説明できちゃうストーリーだけど
 
でもストーリーっていうよりダイアリーだから
 
言葉にできない日常がこっそり詰まっている
 
もう1回みようってなる映画で 最近のおきにいり